ダモクレス資料 -6-

国家社会主義政党の青少年組織

2Lunteren

ロッテルダム爆撃

4Dolle Dinsdag

5たきぎ自動車、まき自動車

6ウェストランド ライサンダー (Westland Lysander)

7Eben-Emael(エバン・エマール)

8チャンスの神様

 

 

1、国家社会主義政党の青少年組織

ナチスヒトラーユーゲントのようなもの、見た感じはボーイ(ガール)スカウトに似ている。10歳から18歳までの子供が入っていて、ほとんどが政党員の子弟。14歳以下は「カモメ」(meeuwen)と呼ばれた。一般の子供たちからは忌み嫌われ、学校ではいじめられていた。だから同じ仲間が集まって、キャンプやスポーツで過ごすのは、楽しい時間だったらしい。

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制帽は、黒いアストラカンの生地でてっぺんがオレンジ色

 NSB-kinderen

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Voor kinderen van 'foute' ouders blijft de oorlog voortduren
"MIJN VADER WAS NSB'ER"・door Marjolein Hurkmans

Het laatste taboe in Nederland: NSB-kinderen

 

2.Lunteren
この村が有名なのは、NSBが党大会を開いていたから。写真は党首ミュッセルトが演説したところで「ミュッセルトの壁]と呼ばれている。今はキャンプ場になっているようだ。「ダモクレスの部屋」を読んで訪れる人も少なくないという。

小説に出てくるとおりに駅から歩いてみた、という人のブログを読んだことがある。小説と映画ではどこが違っていたとか…ファンにとってはそんなことも楽しいんですね。

 

ansicht Lunteren - Goudsberg

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3. ロッテルダム

ドイツとオランダが開戦したのが5月10日。ロッテルダムは理想的な港湾都市なので早く確保したかったドイツだが、思わぬ抵抗に遭い、苦労する。それで14日、町の爆撃に踏み切り、甚大な被害が出た。他の都市も同じ目にあわせるぞと脅されたオランダはまもなく降伏する。王室一家はイギリスへ。オランダの戦争はこの5日間だけ。以降占領下におかれる。
Het bombardement op Rotterdam - 14 Mei 1940

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4.Dolle Dinsdag 狂った火曜日
そして戦争の終わりはなんと1945年5月5日、ドイツ降伏のちょっと前という不思議さ。パリ解放は1944年8月だし、ブリュッセル9月3日、アントウェルペン9月4日(ただしベルギー全土は11月)だから、日付けだけみると首をかしげるだろう。これはマーケット・ガーデン作戦の失敗が響いたらしい。例の「アーネムの橋」でドイツが勝利し、計画が狂ったのだ。
さて、小説の中では終戦をまちわびる人々が、イギリスのラジオ放送で戦局をうかがっている。ノルマンディー上陸作戦(1944年6月6日~。正式には「オーバーロード作戦」という)が成功し、「カーンが陥落した」という知らせに主人公たちは大喜びする。小説内に日付は出ていないが、7月7日のことである。
連合国軍は猛進していたし、パリが8月だったから、9月に入るとオランダの解放も目前というムードになった。人々は、おそらくロッテルダムは5日、アムスとユトレヒトは6日だろうね、などと楽観し、そうした根拠のない噂は独り歩きして、あっという間に広がった。ブレダが解放されたという、誤ったラジオ放送(実際はブレダ解放10月29日)もお祭り気分に輪をかけた。
さあ、みんなで解放軍をお迎えしなくちゃ!9月5日火曜日、人々は仕事をやめ、国旗を用意し、通りに繰り出した。あわてたのはドイツ人やNSB党員(間が悪いことに、このころ幹部全員はドイツに行っていた)で、いくら否定しても人々は聞く耳を持たない。パニックに陥った一部ドイツ人は、車や自転車を盗み、逃亡する始末だ。(そのせいでオランダ人は、通勤に徒歩か、古い自転車を引っぱりだして使わなければならなかったとか。)しかし解放軍は来なかったのである。この日のことをオランダ人は特別な感情をこめてDolle Dinsdag (当時は Dollen Dinsdagとも言った) 「狂った火曜日」と呼ぶ。

連合国軍は、物資・食糧の供給が滞ったり、味方の部隊の所在地確認が遅れたりで、混乱状態にあった。オランダで一番早く解放されたのは、マーストリヒトの9月14日ということになっている。
「狂った火曜日」の代償はとてつもなく大きかった。ドイツは抵抗するオランダ人を即銃殺するなど厳しい報復に出た。連合国軍を阻止するため、9月22日夜ロッテルダム港も破壊してしまった。

5 september 1944 is de geschiedenis ingegaan als ‘Dolle Dinsdag’. De geallieerde opmars in Europa leek zich snel te voltrekken: op 3 september was Brussel bevrijd en op 4 september volgde Antwerpen. Binnen een paar dagen zou ook heel Nederland zijn bevrijd, althans zo verspreidden de geruchten zich. Daarop braken op 5 september in Nederland overal ‘vreugdefeesten’ uit en ontstond er paniek onder de bezetters en NSB’ers. De werkelijkheid bleek echter anders. Voor de bevrijdingsoperaties was een lange adem nodig, die voor Nederland nog tot 5 mei 1945 zou duren. Op de beelden Duitse troepen die Helmond ontvluchten, gefilmd vanuit een huis in de Molenstraat.

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5.たきぎ自動車、まき自動車

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http://krisdedecker.typepad.com/.a/6a00e0099229e88833012876b59166970c-500wi

このような木炭燃料の車は、戦争末期にはドイツで50万台も走っていたとある。自家用車だけでなく、バス、トラック、トラクター、船や列車にも木炭類は使われていたそうだ

http://krisdedecker.typepad.com/.a/6a00e0099229e888330120a7b3438d970b-500wi

http://krisdedecker.typepad.com/.a/6a00e0099229e888330120a7bc75ef970b-500wi

http://krisdedecker.typepad.com/.a/6a00e0099229e888330120a7bf9801970b-500wi

 

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ウェストランド ライサンダー (Westland Lysander)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ca/Westland_Lysander-B-MA.jpg/1024px-Westland_Lysander-B-MA.jpg

第二次世界大戦期に、イギリスのウエストランド社が開発した航空機である。
“Lysander”とは古代ギリシアペロポネソス戦争の英雄でスパルタの将である「リュサンドロス」の英語表記/読みである。

どうやってイギリスからオランダへ渡るか。
手段はふたつ。
1.潜水艇
2.パラシュート

ウェストランド ライサンダーは パラシュートで降りる人も運んだ。

 

メモ de halte af
「停留所を出る」のかと思っていたら、先生いわく、このhalteは建物じゃなく、一段高くなった停留所の安全地帯(島みたいになっている)のことで、そこから、一歩下の道路へ降りるので af 

 

7.Eben-Emael(エバン・エマール)

エバン・エマール要塞 - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4b/Eben-Emael.png/300px-Eben-Emael.png

 

 8チャンスの神様

「チャンスの神様の前髪をつかめ」
 学生時代に初めて聞いたとき、前にしか髪がなくて後ろが禿げている神さま?なんとも不細工な神さまだこと ― そう思った。今回調べてみたらこのギリシャの神は、長い前髪と、背と踵に翼を持つ美少年(!)ということだった。

 ギリシャ語には、時を表す言葉がふたつある。「クロノス」は過去から未来へと流れる連続した時間、「カイロス」は、主観的な点としての「時」、人生のターニングポイントとなるような一瞬、つまりチャンスや好機を表す。チャンスの神様はすぐにつかまえないと、走り去ってからではもう遅い。後頭部に髪の毛がないから、つかまえられないのだ。

Kairos heeft alleen maar een haarlok op zijn voorhoofd. De volgende keer wil ik zeker meteen zijn haarlok grijpen, als ik hem aan zie komen.(カイロスには前頭部にしか髪がない。次にカイロスが来るのが見えたら、絶対に素早く前髪をつかむつもりだ)。

 

その他

差別用語

「床屋」は今は使ってはいけない言葉らしい。差別用語放送禁止用語に入っているそうです。「理容師」「理容室」「理髪師」と言うことにしましょう。

決まり文句

まずTe hard van stapel lopen この決まり文句のstapelというのは造船台のことで、船を進水させるとき、そこからゆっくり船を下ろす。慎重にやらないと、転覆したり事故につながりかねない。ここから「よく考えないでせっかちに物事をすすめる、理性的に判断できず、感情の赴くままに突き進む」という、ネガティブな意味が出てくる。
 しかしstapelには、stapelgek「気が狂った」、stapelverliefd「(人に)夢中、首ったけ」という形容詞の意味もある。

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