平和に手が届きそうだった22年前、イスラエル元首相のイツハク・ラビン氏が暗殺されて以降、ヨルダン川と地中海の間のすべての土地は聖書の中でイスラエルに与えられたと信じる(今そこに住んでいる人のことは決して意に介さない)民族主義的ナショナリストの宗教信奉者たちが、ネタニヤフ首相と共謀し、幅を利かせている。この暗殺は成功だったというわけだ。
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声明は主に、米国内のいるキリスト教の福音主義者と主要なユダヤ系団体に向けられたものだ。トランプ氏は、声明が「和平プロセスを進めるための、長く先送りされた一歩だ」と述べた。ばかげたことを。ため息が出る。
イツハク・ラビン
ラビンは1984年から1990年まで国防相を務め、その間に体験したパレスチナ人の抵抗(第1次インティファーダ)に衝撃を受ける。1992年に再度、首相に就任する。
アラブ側との和平を進め、1993年にオスロ合意に調印し1994年にはヨルダンとの平和条約に調印した。ラビンのこの功績によりヤーセル・アラファト、シモン・ペレスと共にノーベル平和賞を受賞した。
1995年11月4日、テルアビブで催された平和集会に出席したが和平反対派のユダヤ人青年イガール・アミルから至近距離より銃撃され死亡した。
これによりユダヤ人民族間の和平への道は断絶され、イスラエル内の言論は右傾化の流れを強めることとなった。
サイボウズ社長 青野氏のことば
欧米に比べて日本に女性のリーダーが少ないのはなぜか、ですか?
そう男女の枠でとらえることが間違っています。欧米では、女性管理職の割合を「何%にする」とやってきましたが、それをまねるのではなく、ジャンプした方が早い。つまり、男性、女性というのを一回忘れ、個々を見る。個人の働き方に合わせ、短時間勤務でも適材適所で管理職にする。
実は、デンマークやスウェーデンといった女性進出の先進国のメディアが私に取材に来ます。国をあげて女性を公務員にして社会進出を実現しているけど、民間企業で働く女性がなかなか増えないのだそうです。あなたの企業は女性が大勢働いていてすごいね、と。
男女の区別を考えず、個々の柔軟な働き方を認める。そう飛び越えることで、スウェーデンを抜くチャンスが僕らにやってくると思います。
朝日新聞2017年12月23日 ニッポンの宿題『女性の進出 阻むもの』
ローマ法王からの年賀状 「焼き場に立つ少年」
法王の発言もすばらしい。
「戦争が生み出したもの」
「かみしめて血のにじんだ唇により悲しみが表現されている」
負の歴史に学んでこそ 週のはじめに考える
2017年9月17日 中日新聞
だが、近年は政治のパイプが機能不全に陥りがちであるだけに、補完機能として民間交流の拡大に強く期待します。言論NPOの一六年秋の世論調査でも、日中国民の六割以上が民間レベルの交流を「重要」だと答えています。
名古屋外国語大で六月に開かれた「日中大学生討論会」で、同大の山本裕佳さんは「過去に起きたことを若い世代も十分に勉強して知ることが大切です」と述べ、『日中共同の歴史教科書』を作る取り組みを提案しました。天津外国語大の王儷舒(れいじょ)さんは「若者交流で大切なのは、お互いの良さを発見することです」と強調しました。
討論会では、四十五周年を「日中の新たな夜明けに」との呼びかけもありました。負の歴史に学んだうえで、前に進もうとする日中の若者に心強さを覚えます。
対北朝鮮政策は、「満州事変の教訓」から学べ
86年前、なぜ日本は「暴走」したのか
国策で捨てられた満鉄 戦後民間扱いで元社員は苦労(野村昌二2017.9.18 )
戦う国民の記憶、今に伝える 世界の軍事博物館
8.ベルギー王立軍事歴史博物館(ブリュッセル)
地図上の位置が災いし、ベルギーは2つの大戦において戦場と化した。その結果、現在の同国は密集した戦跡の数々と、第一級の軍事博物館を有している。
王立軍事歴史博物館はブリュッセル中心部のサンカントネール公園に位置する。中世から現在に至るまでの兵器や装備の大規模コレクションを所蔵。直近ではF16戦闘機が加わった。9.オランダ・レジスタンス博物館(アムステルダム)
この小規模ながら非常に興味深い博物館は、アムステルダムの歴史的中心部付近にあり、今回のリストの中では変わり種の施設といえる。なぜなら戦争において通常は表に出ない側面、すなわち敵の占領地内で繰り広げられる生と死を扱っているからだ。オランダが第2次大戦中ナチス・ドイツにより占領されていた時期の出来事に焦点が当てられているものの、レジスタンスと占領という主題は欧州の多くの国が共感できるものだ。
オラドゥール
資料として貼っています。
オラドゥール・シュル・グラヌ
フランス・ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏オート=ヴィエンヌ県の村。
1944年6月10日、ドイツの占領下であったこの村でナチス武装親衛隊による大規模な虐殺が行われた。
当時村にいた村民のほぼ全員が殺され、村は一日にしてゴーストタウンと化した。
資料:
『追想』(1975年製作のフランス映画) Le vieux fusil
参考になるサイト: