MUSKAのメモ帳

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空中浮遊するシリア難民の少年を見にいった。映画”Jupiter's Moon”『ジュピターズ・ムーン』&写真家Sha Fei

 下の三つのサイトを先に読んでから映画を見たのだが、監督のインタビューはとてもおもしろかった。オペラが大好きでオペラ製作もしているし、演劇の演出もやる多忙で豊かな時間を生きるコーネル・ムンドルッツォ監督。

ヨーロッパに押し寄せる難民の問題、またそこから派生する難民集団に紛れ込むテロリストの問題が中心に据えられていると思って見ていたが、途中から次第にキリスト教の神や天使のテーマが濃くなって、最後はあっといわせる壮観な情景を用意していた。

また監督の言葉にあるように「自己犠牲」によって自分を見いだしていく、「奇跡」や「不思議なこと」に出会う時、どう対処するかを考えさせられる。

www.youtube.com

飛ぶ力を持ったシリア難民の青年の運命―『ジュピターズ・ムーン』が映すヨーロッパの現実|ムンドルッツオ監督「未来として描こうとしていることがすべて現実になっていった」 - 骰子の眼 - webDICE

 (*お断り。抜粋引用しています)

・この映画をヨーロッパの物語として観てもらうことに意義がある。ハンガリーをはじめ、ヨーロッパで進行している危機を背景にした物語なんだ。加えて、この映画は現代のSFだということも伝えたかった。

・この映画は〝alien〟(「宇宙人、外国人、よそ者」の意)であるというアイデアを描いている。「いったい誰がよそ者なのか」と常に問いかけているんだ。それは視点の問題に過ぎないんだけどね。

・大人になるにつれて、私は信頼という問題に直面するようになった。一定の文化と時代の中に存在する相対的な信頼より、もっと広く包括的で普遍的な信頼があるように思うんだ。すべての人間に影響を与え、特に、伝統的な宗教や神に対してわれわれが仕返しをしているような時や時代に、人間に影響を与えられるような信頼がね。ところが、われわれ個人の価値や特質は、お金や成功を基準にして決定され、大衆性という常に存在する概念やすぐに得られる喜びを基準にして決定されている。

・空中を飛べる人間を中心に据えることは…(略)…奇跡を描くということは、観客の側がそういう世界にスムーズに入っていくことが求められる。観客がそうできるように、私は努力を重ねてきた。確かにこれは難民映画だが、絶対的な物事や不思議な物事に出くわす瞬間があると人は知る必要があることを描いており、その点では、神を探し求めている映画だと言える。アリアンというキャラクターが、それを象徴している。アリアンは難民の姿をしたキリスト教徒であり、天使だと解釈することもできる。奇跡は、人間が期待したところには起こらず、また人間は奇跡が真に使われるべき方法で、奇跡を使ってはいない。

・(難民キャンプで)自分はよそ者だ、周りとは違うんだという感覚を味わった。あのキャンプにいた人々には、ある種の不思議な神聖さがあった。彼らは時間も場所も超越したところに追いやられていたからだ。「喪失する」という心象や比喩は、キリスト教の礼拝や儀式における感覚にとても近いと思う。幼いころから私は礼拝や儀式に参加し、それらは私にとって身近なものだ。礼拝や儀式の場では、過去も未来もなく、現在しか存在しない。そしてそれさえも不確かだ。自分が自分でいるのかさえわからず、国を出たときと同じ人間なのかわからず、途中で別の人間になったのかもわからない。そんな状況にある人を、感情移入せずに見られる人はいないだろう。人間の心を持った人であれば。

・われわれはシュテルン医師というキャラクターを、目が見えなくなっている人間に仕立てあげた。シュテルン医師は奇跡的な力を持つアリアンと出会ったときでさえ、自分の得になることしか考えない。自分を犠牲にすることができてはじめて、益を得られるということになかなか気づくことができないんだ。

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コーネル・ムンドルッツォKornél Mundruczó) プロフィール

ハンガリー出身。脚本家、映画監督、舞台演出家、プロトン・シネマとプロトン・シアターの創設者。『Jupiter’s Moon』は映画監督として5作目の作品で、カンヌ国際映画祭でプレミア上映された。映画作品は他に『Johanna』、『Delta』、『Tender Son』、そして2014年度カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリ受賞の『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)』。

 

 

こちらの記事もよかった。

news.yahoo.co.jp

・とにかく「信じるに値する“宙を舞う少年”」を作ることが大事でした。アクションの場面ともいえますが、何より「奇跡を信じられる」と思わせることが大事だったので。そういうものは、どんなに言葉を尽くして説明してもうまくはいきません。観客には映画館の座席で「なんだこれ!?」「何が起きてるんだ!?」と思わせなければ。映画の登場人物と同じような感覚を感じさせることです。

ハンガリーは今は難民の受け入れをしていませんが、当時(2013~14年ころ)国内にキャンプがありました。別の仕事の撮影でそこを訪れ、5週間くらい滞在したと思います。その頃は難民問題が「クライシス」化する以前でしたが・・・(略)

でもいざ映画を作ろうとした矢先に大問題になってきて、どうしようと悩みました。私は、映画は政治的な抗議やジャーナリズムからは最も遠いアートであるべきだと思うし、誰もが熱くなるようなテーマを扱うのは腰が引けます。なんやかや言われることは目に見えていますから。でも「浮遊する少年」のモチーフのおかげで、他とは違う視点で見ていただける作品になったと思います。

 

 

www.huffingtonpost.jp

・難民のスーパーヒーローのようなキャラクターを、ヨーロッパにとっての希望の象徴として描けないものかと考え始めました。ヨーロッパがいま向き合っている移民・難民問題、・・・

これを解決することは、ヒューマニズムやモラルとは何かを問い直すことになる。またそれは、ヨーロッパが持つ本来のよき特質を取り戻すことになるのではないか――。

・難民問題はやはりわれわれの問題であり、それに対する答えを模索する努力の1つとして、この映画を作りたいと考えました。それだけに、白黒がはっきりついてしまわないような、複雑ないまの状況通りの見せ方をしたかった。

・難民問題という「危機」はヨーロッパにとってネガティブではなく、むしろポジティブなものではないのか、ということでした。そのポジティブさをどう表現するか、ということで出てきたのが、「空中浮遊」というイメージでした。

・ヨーロッパ自身が犠牲を払い、何かを助けようという気持ちで問題解決に取り組めば、ヨーロッパという場所がより強くなれるのではないか。その経験で得たヨーロッパの知恵は、他の国と分け合うことができるのではないのか――。こうした考えは、決して忘れてはならないヨーロッパの伝統だと思うのです。

 だから、「空中浮遊するシリア難民の少年」というキャラクターは、超越的でスピリチュアルなスーパーヒーローとして見せたかった。

 そんな少年が、主人公である中年の医師の前に現れ、そのことで医師の中に変化が起き、自らを犠牲にする心が芽生える、という物語になっています。

 一方、この医師が象徴しているのは、ヨーロッパではたくさん見ることのできる、いまは迷子のようになっている知的階級層です。腐敗にまみれ、愛のない人生を送り、先の見通しもないという精神状況に置かれている。そんな男が、ミステリアスな少年と出会うことで変わっていく。

 (ぜひ記事を全部お読みください))

 

堕落し希望もなく生きていた医師が少年と出会うことで自己犠牲の心が芽生えるように、ヨーロッパ(木星の惑星であるエウロパ)も犠牲を払い、難民問題の解決に向かうことが大事、 そのために知恵を分かち合おう、そもそもそうした精神はヨーロッパの伝統ではないのか。難民問題の「危機」はネガティブなものではなく、ヨーロッパにとってポジティブなものだと監督は語る。

 

空中浮遊

浮遊する少年のモチーフは、ソ連のヴェルヌとも言われたアレクサンドル・ロマノヴィチ・ベリャーエフ(1884年 - 1942年)の”Ariel”という小説から来ているようだ。

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Беляев, А. Р. «Ариэль : роман»

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英語版の表紙の絵は天使に見えなくもない。

浮遊する人といえば、マルク・シャガールだ。彼の絵では人や動物がたいてい空中浮揚している。空を飛ぶカップルは幸福そうで、幸せのあまり体が軽くなって飛んでいるのだろう。

 

🌸写真など

ジュピターズ・ムーン』は第70回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、大変な話題になった。俳優たちもすっかり有名?

監督さんと主役二人。

http://szinhaz.org/wp-content/uploads/2017/05/download.jpeg

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http://magyar.film.hu/files/slide/image/33660/large_DSC_1865.jpg?1495197582

http://magyar.film.hu/filmhu/magazin/mundruczo-kornel-es-cannes.html

https://szinhaz.org/wp-content/uploads/2017/07/19577447_196107217585337_5733096871675442640_o.jpg

Így készült a Jupiter holdja / Jéger Zsombor / Fotó: Szemerey Bence

Így készült a Jupiter holdja / Galéria

https://szinhaz.org/wp-content/uploads/2017/10/jupiter1-768x512.jpg

Jéger Zsombor / Jupiter holdja / Fotó: The Orbital Strangers Project

Tarolt a Jupiter holdja Katalóniában

 

「少年」というには無理があるのだが、主役のシリア人難民を演じるイェーゲル・ゾンボル(Jéger Zsombor)氏。父親と二人でシリアを脱出し、ハンガリーの領土に入るということで、恐らく16~18歳くらいの設定なのだと思う。

こうしてみるとアラブ人には見えず、普通にヨーロッパの白人という雰囲気。

イェーゲル・ゾンボルは1991年生まれ。映画撮影の時は26歳。

子どものときから芝居やミュージカルに出ており、ブダペストの演劇アカデミーを卒業した。11歳のときに『ゴドーを待ちながら』、13歳で『ハムレット』16歳にはモルナールの芝居、21歳『ピーターパン』23歳『ドン・ジュアン』など。またバイオリンの名手であるらしい。

メラブ・ニニゼ(Merab Ninidze)医師役

1965年生まれ、ジョージア出身。1994年にオーストリアに移住した。ウィーンとベルリンで俳優業。なんと『名もなきアフリカの地で』(Nirgendwo in Afrika、2001年ドイツの映画)の一家の父親役だった!わあ、全然違うなあ。

Nirgendwo in Afrika - Bilder - Cinema.de

それで今度は映画のために、ハンガリー語を勉強したわけ?は~、すごいな。

 

Sha Fei( 1912 – 1950)沙飞 沙飛

www.npr.org

鲁迅生前留影,沙飞1936年摄。

沙飞早期工作照(1939年前后)

沙飞传奇︱战地摄影师沙飞与妻子王辉的战乱岁月_私家历史_澎湃新闻-The Paper

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日中友好協会(日本中国友好協会):沙飛写真展全国巡回

日中友好協会(日本中国友好協会):日中友好新聞 2008年12月15日号

 

中国・八路軍に救われた日本人女性 62年ぶりに恩人の村へ

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-08-23/04_0105.html

村民500人総出で出迎え
“罪ないみなし子を、のたれ死にさせるな” 聶副司令(後の副首相)は手紙をかいた(*記事より抜粋引用)

 

 姉妹を送り返すにあたって日本軍にあてた手紙の一部
 人を派遣して幼女を送り返すので、親族に渡して育ててもらいたい。どうか罪のないみなしごを異郷の地で路頭に迷わせ、のたれ死にさせるようなことはしないでもらいたい。

 中国人民は決して日本の兵士や人民を敵とは思っておらず、よって抗日戦争を堅持して命をかけて日本軍に抵抗するのは、日閥の侵略に余儀なく自衛しているだけである。

 2002年8月21日 宮崎県都城市の栫(かこい)美穂子さんが中国河北省の村を訪ねた。

栫さんは1940年に両親を戦闘で失ったとき4歳。中国・八路軍に助けられ、日本軍に引き渡された。(上の写真)詳細は記事を読んでください。

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