MUSKAのメモ

メモなのでけっこうすぐ消えます。

仏サッカー熱は続く&ナジャット・ヴァロー=ベルカセム 渋谷に川

 

すっかり変貌する渋谷

川が流れるのは嬉しい。

 

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Shibuya : un quartier qui changera de visage | nippon.com - Infos Japon

変貌を続ける街、渋谷:再開発で2020年前後に大きく進化 | nippon.com

 

 

 

サッカー “Vive la République(共和国万歳!)

多様な文化的背景をもつフランス人の混成

gendai.ismedia.jp

 

育成組織に潜入

とてもよい記事。

www.footballista.jp

引用

クレールフォンテーヌ国立フットボール養成所(INF)

1988年に場所を現在のクレールフォンテーヌに移してから、INFでの育成は13~15歳のプレフォルマシオン(前育成)を専門とするようになった。

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「始めてみると、プレフォルマシオンは非常に効果的だった。13~15歳という年齢は学ぶのに適していて、良いことをどんどん吸収していくから学べば学ぶほど身につく。育成は家を建てることに似ていて、家の基盤、土台になる部分がプレフォルマシオンで、壁はフォルマシオン、そして屋根がプロ。ここでは一番大事な基盤の部分を育てている」

・・・

生徒たちは、クレールフォンテーヌから10分ほどの場所にある地元の学校に月曜から金曜まで通い、学校から戻った後、15時半頃から練習を始める。

 育成スタッフは少数精鋭で、ラファルグの他はコーチを務めるフィリップ・ブレトー、そしてGKはフランスA代表のコーチ、フランク・ラビオから指導を受けられる。年初におおまかな年間スケジュールを立てた後は、毎週その週にやるべきテーマを決める。テーマは常に攻撃と守備の両面だが、別々ではなく同時にやることで相互的に学んでいく。・・・

 「それは、ここでは今まで彼らがやってきたサッカーとは違うものを提案していくから。サッカーを違う見方で見るように教える。それまでは彼らはおそらく、自分自身のプレーだけに意識を向けてきている。しかし実際は、敵や味方など他の登場人物もいる中でプレーしなければならない。よって自分のプレーも、周りの状況に大きく左右される。周りで何が起きているか、今どんな状況にあるかに常に注意を払うこと。そうすることが、自分のレベルを知ることに繋がる」

・・・

「最近の選手はよりスピードに長けているし、プレースタイルも相手DFがより引いて守ってくるパターンが多い。さらに確実にプレーできるスペースはどんどん狭くなっていく。守備の選手なら、より低い位置で、時に数的不利な状態で守るやり方を習得する必要がある。加えて重要なのは、様々な状況に対応できる術を学ぶこと。かつては一定のパターンで守ることが通用していた時代もあったが、今日は特にハイレベルになればなるほど、相手が繰り出してくる数々の難題にそれぞれに最も適したやり方で応じていくことが必須になっている。数的に不利か有利か、DFラインが高い時、下げた時、かなり広いスペースがある時……シチュエーションは同じではない。よって育成所では、あえて様々な難題を与えて、柔軟に対応できる術を学ばせている」

 多くの例を学べば、それだけできることの引き出しが増えて選手としての深みが出る、というのがINFが目標とする選手像だ。

 実際、ムバッペがINFでの2年間で特に成長した部分も「プレー中にどのような選択をするかという効率性の部分、それからポジショニングと動き方」とラファルグは指摘した。

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www.newsweekjapan.jp

 おもしろいインタビュー

『フランス代表にプライドを持たない選手を選ばない』という暗黙の基準、に納得。
headlines.yahoo.co.jp

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引用(ダバディさん):

フランスの移民政策は、大まかに言うと戦後の高度成長期を迎えた『栄光の30年』と言われた時代に、アルジェリア、モロッコなどのマグレブ諸国(北西アフリカ)から労働力として移民を受け入れ出したのが始まりです。しかし1973年のオイルショックが契機で労働移民が制限され、出稼ぎ型から家族呼び寄せ型・定住型の移民が大きな割合を占めるようになりました。その中で、80年代初め頃からフランス社会と、そこに同化できないアラブ系の移民たちを中心に摩擦が生じ始めた。ある意味、親世代よりも2世、3世がどんどん孤立していったんです

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(1998年)当時の代表選手のテュラムが「この勝利はフランスサッカーだけの勝利ではなく、フランスの人種的多様性の勝利でもある」と叫んだことは有名です。

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フランスがプラティニの時代に、特にヨーロッパ3大強国の西ドイツ、イタリア、イングランドに勝てなかったことを受けて、クレールフォンテーヌ(国立サッカー養成所)を作った。当時フランスの選手は西ドイツの選手に比べて、技術も高くコレクティブでした。それでも勝てなかった主な理由は、今の日本と同じです。『デュエル』、つまり1対1の局面でどうしても勝てなかった。・・・身体能力のあるアフリカ系移民選手がピックアップされるようになっていきました。特に当時まだ有名ではありませんでしたがリスペクトされていたベンゲル監督、エメ・ジャケ監督などは、足の速さ=スピードを重視した。相手のフィジカルが強くても、スピードがあれば勝てると。

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(2010年の南アフリカW杯の空中分解について)

・・・『人種に関係なくフィジカルの強い選手を重視した一方、人間性をまったく重視しなかった』と。グリーズマンがフランスのクラブに見向きもされなかった理由がそれです。彼みたいなテクニシャンが無視されて、ビエラマケレレデサイーのようなサイボーグが生み出された。・・・EURO2008と2010年のW杯は最悪の結果となった。さらに日本の長谷部選手みたいな賢い選手を代表で起用しなかったから、当時のチームを救える選手もいなかった。

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(抜粋しています)

羊の世話をしていた少女が 

フランスの教育相だったナジャット・ヴァロー=ベルカセムさんの話

ロッコ生まれ、フランス社会党所属。

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https://www.linkedin.com/pulse/never-stop-dreaming-working-hard-your-dreams-imagine-you-oleg

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詳しくはウィキペディアで。

ナジャット・ヴァロー=ベルカセム - Wikipedia

引用

1977年、モロッコの農村にて生まれる。1982年に建設労働者の父親が働いていたフランスに移住し、以降アミアンの郊外にて育つ。パリ政治学院公法学の学士を取得し、卒業した後、社会党に入党。ENAを目指すも失敗している。18歳の時にフランスの市民権を取得し、帰化している[1]。

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2012年フランス大統領選挙で社会党フランソワ・オランドが勝利すると、2012年5月15日、第1次ジャン=マルク・エロー内閣にて女性権利大臣、政府報道官に就任。

女性権利大臣として、2013年に法制化された同性婚については擁護する姿勢を見せており[2]、同年Twitter上にて「#LesGaysDoiventDispaîratreCar(同性愛者は死ぬべき)」というハッシュタグが付けられたツイートが多数投稿された件については「私は反同性愛のツイートを非難します。我々がTwitterや反同性愛団体とともに働きかけていく事が不可欠です」と語った[3][4]。同年、モンペリエで行われたフランス初の合法同性カップルの結婚式には自身も出席した[5]。また、フランスでは原則合法となっている売春の根絶を実現したいと述べている[6]

2014年3月31日、マニュエル・ヴァルスが首相に就いてからは、第1次マニュエル・ヴァルス内閣で女性権利大臣と兼任して都市・青少年・スポーツ大臣も担当。第2次マニュエル・ヴァルス内閣では国民教育・高等教育・研究大臣に就任し、フランス第五共和政での初の女性教育相となった。・・・

 羊の世話をしていた少女がフランスに移住して20年、大臣になりました。