MUSKAのメモ帳

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慰安婦問題 ほか

メモ

 

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中国の「慰安婦」を支える人たち 日本に謝罪させるために奮闘_中国網_日本語

一部引用

8月14日は世界「慰安婦」記念日にあたる。同日、日本軍が侵略戦争中に行った「慰安婦」暴行を明らかにする映画『大寒』が再上映された。高齢の中国人「慰安婦」が再び衆目に晒され、彼女たちの経歴に対し悲痛の声が上がっている。 

 あまり知られていないが、数十年にわたり彼女たちに寄り添ってきた人たちがいる。「中国慰安婦民間調査の第一人者」の張双兵氏、中国戦争被害者「慰安婦」訴訟弁護士団団長の大森典子氏、訴訟団メンバーの中国人弁護士の康健氏、「中国慰安婦問題研究の第一人者」の蘇智良氏である。山西、東京、北京、上海にいた彼らは1990年代初めにあるきっかけで出会い、中国「慰安婦」問題研究に着手し、被害を受けた高齢者の日本政府告訴を支援してきた。

 『環球時報』の記者はこのほど、高齢の中国人「慰安婦」を支えてきた4人を取材し、この20年の紆余曲折を聞いた。

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 中国の「慰安婦」を支える人といえば、大森典子氏ははずせない。彼女は中国戦争被害者「慰安婦」訴訟弁護士団団長、東京町田法律事務所の弁護士である。 

 大森典子氏は裁判官の家庭で育ち、幼い頃から弁護士を志していた。1968年、彼は弁護士免許を取得し、日本で数少ない女性弁護士になった。優秀な大森氏は日本で最も権威のある東京中央法律事務所に勤務していたこともある。この事務所は複雑な案件、中でも憲法関連の案件を得意とする。

 1994年、大森典子氏は中国人「慰安婦」による日本政府訴訟を支援することを決め、日本弁護士調査団に入った。同年10月、山西省を訪れて「慰安婦」を調査。当時、このような行為は理解されず、彼らは地下室や倉庫などを転々とした。 

 当時の日本弁護士団のメンバーは多く、100人を超えていた時期もあった。しかし、「これらのことに関わればどうなるかわからない」と考える人は多かった。大森氏の初志は単純で、「これらのこと、彼らが何をしたかをはっきりさせたかった」と話す。その後、なんとなく参加していた人たちが抜け、大森氏は堅持した数少ない人物になった。

 大森典子氏は記者に対し、「日本で普通の教育を受けた若者は日本の侵略の歴史を知る機会がない。自分も訴訟の準備を進める中で日本軍がこのような悲惨なことをしていたことを知った」と述べた。

 

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丹羽大使、日本人残留孤児の養父母に感謝状_中国網_日本語

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6月1日、丹羽宇一郎日本大使は、大使館で行われた日本人残留孤児の養父母感謝状授与式に参加した。丹羽大使は日本政府を代表し、日本が中国に行った侵略戦争の後、残された日本人孤児を養い育ててくれた養父母へ感謝状を手渡した。恨みを乗り越えて、異国に置き去りにされた日本人の子供に「二度目の命」授けてくれたと感謝した。

「1941年、私と三人の兄弟は開拓団に参加した父母とともに中国に渡りました。戦争末期には、6人家族で私だけが残されました。飢えと病気ですでに虫の息だった私を養父母は助けてくださり、二度目の命を授けてくださいました。」式典に参加した王林起さん(日本名 渡部宏一さん)は1945年の夏の終わり、瀋陽ですごしたときのことを思い出しながら、何度も嗚咽をこらえた。彼の傍らにいた銀髪の老人は中国の養父母、今年89歳になる賈鳳朝さんだ。

あの夏の終わり、東北に残されていた余作民さん(日本名 真真田豊彦さん(79歳))、張国安さん(日本名 山中重一さん(73歳))と孫生華さん(日本名 佐々木慶子さん(67歳))の三人は、東北の農家でそれぞれ中国人の子供となった。経済が極度に逼迫していた1950、60年代、彼らの中国人養父母は心血を注いで、自分の子供が増えたと思い養ってくれた。政治闘争の時には「日本人をかくまった」という罪を着せられ、子供を自分の後ろに隠して助けた。1972年の国交正常化を迎え、中日両国政府はこの日本人残留孤児の肉親探しに着手し、残されていた子供たちはやっと故郷に帰ることができたのだ。

 

「1981年、私は始めて日本に行きました。行く前に養母は私に「お前がこの家でしなければならないことは全部終わっているのだから、日本で落ち着いていいんだよ。」といってくれました。」と王さんはいう。だが、日本で1年1ヶ月を過ごし、彼は中国に帰ってきた。「私は小さい頃から日本へは戻らないと決めていました。ここが私の家だからです。」余さん、張さん、孫さんの3人も同じだ。何度も日本へ肉親探しに出かけたが、やはり養父母のもとに戻ってきた。お年寄りの面倒を最後までみたいという。

丹羽日本大使は、賈さんと他の三人の養父母に対し、養ってくれた孤児を代表して日本政府からの感謝状を一人一人に読み上げた。中国に残っている日本人孤児の方にお会いし、「優しく、慈悲深い」中国の皆さんが恨みを乗り越えて、自分の子供のように孤児たちを育ててくださったと、「この気持ちは一生忘れません。」と語った。丹羽大使は済南から戻ったばかりで、済南でも3人の養父母にも感謝状を手渡したという。 「感謝状は郵送できないものですから、手渡さなければ。これからも中国の20ヶ所以上の地域へ行って、この感謝状を一つ一つ手渡したいと思っています。」と語った。

「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年6月2日

 

www.msn.com

 

www.sankei.com

 引用

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 有田氏は、最近も川崎市で悪質なヘイトスピーチが起きるなど、多くの人が苦痛を受けている現実があると主張。最高裁もひどいヘイトスピーチ表現の自由を著しく逸脱し違法だとの判断を出しており、日本政府の姿勢は問題だとした。

 有田氏と共に審査会合に出席した沖縄県選出の糸数慶子参院議員は会見で、会合で討議された沖縄の人々の権利保護を巡る問題に触れ、沖縄の人たちは自分たちの土地や海をどう使うかを決める権利を求めているが「政府は無理解だ」と指摘。

 米国と北朝鮮が対話を始めるなど国際情勢が変化する中、米軍普天間飛行場宜野湾市)の名護市辺野古移設が「抑止力になるという考えには大きな疑問がある」と述べた。(共同)

 

そのほか 楽しい話題

mainichi.jp

・・・ ボランティアには交通費と食費を含め30万ルピア(約2300円)の日当が支給される。ジャカルタ最低賃金を大きく上回る破格の待遇だ。

 

 

 

 

 育てられなくなった金魚を引き取ってくれる。

 

デコトラ

 

東京新聞 介護問題

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戦争体験証言者の高齢化

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