MUSKAのメモ帳

倉庫のようなものです。記事は消えることがあります。

伝説の男の死シャルル・アズナブール &ランスのルーブル美術館Louvre-Lens

 9月に日本へ来たというのに・・・なんとも唐突。

www.asahi.com

引用

フランスを代表するシャンソン歌手のシャルル・アズナブールさんが亡くなった。94歳だった。1日、仏メディアが一斉に伝えた。
 1924年、アルメニア系移民の両親のもと、パリで生まれた。

 幼少から俳優と歌手を志してパリの小さな舞台で日銭を稼ぎ、46年、シャンソン歌手エディット・ピアフに見込まれて前座で歌い、名が知られるようになった。

 低くて渋いしゃがれ声が特徴で、代表曲に「ラ・ボエーム」や「世界の果てに」などがある。作曲や作詞も手がけ、1400曲以上のシャンソンを書き、60本以上の映画にも出演。18年9月には日本でコンサートを開いたばかりだった。(パリ=疋田多揚)

1967年ラスベガスで結婚したアズナブール

f:id:cenecio:20181002105020p:plain

映画『ブリキの太鼓』ではおもちゃ屋の主人だった

f:id:cenecio:20181002125812p:plain

[https://www.francetvinfo.fr/economie/emploi/metiers/art-culture-edition/charles-aznavour-mort-d-une-legende_2965927.html#xtor=EPR-744-[newsletterjt]-20181001-[sujet1]:embed:cite]

 

テレビ フランス2出演.↑上でフランス2局のビデオが見られます。↑(翻訳はありません)

f:id:cenecio:20181002132854p:plain

f:id:cenecio:20181002132209p:plain

フランス2では3日前のインタビューを放映していた。日本から戻って次はベルギー公演の予定だったのだ。自分が来ているジャケットの背を見せてくれる。いつも日本びいきだったアズナブール。日本の伝統や職人魂に敬意を寄せていた。

キオスクで新聞を買いに来た人の声を拾う。

f:id:cenecio:20181002132741p:plain

f:id:cenecio:20181002132615p:plain

話はずれるが、インタビューに答えている女性が現代の人とは思えない雰囲気。60年代風?古めかしさがたまらない魅力だ。

 

こんなアズナブール知っていますか。七つのエピソード。↓こちら。翻訳はありません。

Sept choses que vous ignorez peut-être sur Charles Aznavour

f:id:cenecio:20181002133019p:plain

 たくさんの記事があって全部は貼れませんが、まとまりのあるものを。↓

www.francetvinfo.fr

 ちょっと笑える。

f:id:cenecio:20181005135158p:plain

 

ブルターニュ独立運動

f:id:cenecio:20181002130230p:plain

参考:

世界史の窓分離独立運動 より

分離独立運動
一国内の民族間の対立から起こる分離独立の動き。冷戦終結後の2000年代に世界各地で広がっている。

 ある国家内の少数民族が、民族の言語や文化、宗教の独自性を掲げて、多数派が握る国家から分離独立を求める運動。多民族からなる国家で、少数派の民族が多数派の民族に対して被差別意識を持ち、反発してきた長い経緯があるが、19世紀の国民国家の形成の時代には表面化することは少なかった。20世紀前半までは、主として先進国の植民地となった地域の民族の独立運動が主であったが、1960年代から西ヨーロッパ国内の少数民族による分離独立運動が起こってきた。一方でヨーロッパの統合が進む中、分離独立運動が盛んになったことは興味深いことである。また90年代以降は、東欧社会主義圏が動揺し、旧ユーゴや旧ソ連の民族独立運動が次々と起こり、激しい民族対立、紛争となって現在も続いている。東西冷戦の緊張が解消されたことにかわって、21世紀の新たな世界的不安材料となっている。
60年代から90年代までの西ヨーロッパ各国の主な分離独立運動には、
 イギリスの北アイルランド紛争(イギリスからの分離とアイルランドへの併合を要求)、スコットランドウェールズ、フランスのブルターニュ地方、コルシカ島、スペインのカタルーニャ地方、バスク地方、などがある。またカナダのニューファンドランドケベック独立運動も活発であった。
ベルギーにおける言語戦争も、一種の分離独立運動と言うことができる。
90年代の東ヨーロッパ、ロシア圏の分離独立運動には、旧ユーゴスラヴィアを解体させたクロアチアスロヴェニアマケドニア人の運動があり、ロシア国内の自治共和国の分離独立運動であるチェチェン紛争などがある。

 

京都大法恩寺

f:id:cenecio:20181002103312p:plain

 あなたは何か国語喋れますか。

f:id:cenecio:20181002131327p:plain

 

追記:お別れ

 

ランスのルーブル美術館別館。シュティの誇りだ。

ランスは炭鉱の町だったが、1960年以降放置されていた土地にルーブルの別館を建設。2012年12月4日にオープン。日本のSANAA(サナア、Sejima and Nishizawa and Associates)妹島和世西沢立衛)とイムレー・カルバートが設計。

パリのルーヴル美術館に眠っていて一般公開されていなかった作品(ギリシャ美術、オリエント美術、彫刻など)を中心に展示。(ウィキペディアによる)

www.francetvinfo.fr

Depuis six ans, le Louvre-Lens (Pas-de-Calais) est devenu leur deuxième maison. Leur point commun : la fierté de posséder ce musée, posé en plein cœur du bassin minier. Un musée qui cherche à séduire son public. Ludovic n'est pas seulement guide. Son groupe de visiteurs sont des jeunes, tous envoyés par Pôle Emploi. Le but : s'inspirer des œuvres pour gagner en confiance. Le regard, la posture, tout est étudié pour faire bonne impression face aux employeurs. Depuis l'arrivée du musée, le taux de chômage baisse plus vite sur le bassin lensois qu'ailleurs dans la région.

450 000 visiteurs par an
Cathy et Mathieu Debas tiennent un café depuis quarante ans. Aujourd'hui, ils sont voisins du musée. Les visiteurs ont remplacé les mineurs. Rares sont les nationalités qui n'ont pas encore défilé dans ce café. Le quotidien des habitants a changé. Il y a cinquante ans, c'était une mine, puis un terrain vague et enfin le musée, qui a modifié le visage du quartier. Grâce au Louvre, le gout de l'art a essaimé à travers toute la ville. Chaque année, le Louvre-Lens reçoit 450 000 visiteurs. Mais la plus belle fierté c’est sans doute cela, des habitants qui se sont approprié leur musée.

f:id:cenecio:20181013124706p:plain

f:id:cenecio:20181013124938p:plain

カフェを営むカティさん。昔のお客は炭鉱夫、現在は外国からの観光客。それもこの美術館のおかげ。