MUSKAのメモ

メモなのでけっこうすぐ消えます。

キアヌ&アイヌ文化で読み解く 中川裕氏&藻谷さん 「シュテットル」中学英語

メモ

ドリーミング村上 トレーラー

vimeo.com

 Il y a plus de vingt ans, la traductrice Mette Holm a lu un roman de Haruki Murakami. L'auteur japonais n'avait pas encore atteint la célébrité littéraire et Mette Holm n'avait alors aucune idée de la façon dont ses livres façonneraient plus tard sa propre vie et transformeraient sa vision du monde. Depuis lors, elle a passé des milliers d'heures à traduire les romans imaginatifs et imaginatifs de Murakami. Le film suit son combat acharné pour trouver les phrases parfaites qui reflètent les personnages de rêve de l'auteur. Dans le processus, une graine verte haute de deux mètres apparaît dans le métro de Tokyo, qui commence à suivre Mette Holm, et les frontières entre performance et réalité commencent à se confondre.

 

 本来あるはずなのにないものは何か

世界まちかど地政学NEXT

世界まちかど地政学NEXT

 

bunshun.jp

居住者の45%は外国人で、特にポルトガル人の労働者が多いそうなのですが、単純労働者が作業しているのを見ないし、ホームレスも寝ていない。そうやって「不在」のものを洗い出していくと、「格差を最小化する」ことで金融業と社会秩序を成り立たせてきたこの国特有の知恵が見えてきます。

・・・

帰国してから調べてみたら、格差の大小を示すジニ係数が小さい。移民層もそれなりの水準の所得を得ているんですね。移民が非常に多いのに貧困が表に見えない地域として代表的なのが、シンガポールとカナダとルクセンブルクでしょう。端的にいうと、シンガポールは他宗教排斥や人種差別の言論を封じることで、カナダは福祉国家として移民にも平等に教育機会を与えることで、そしてルクセンブルクは富裕層が富を見せつけない配慮によって、不満が生じにくくしています。それは最良のテロ対策にもなっていることは言うまでもありません。・・・

 最後にひとつ。ルクセンブルクにはなくて日本にあるものはコンテンツ発信力です。ルクセンブルクは地形的にはちょっと金沢に似たところのある城塞都市で、中心街の規模も似ていますが、ルクセンブルク兼六園武家屋敷や茶屋街はありません。加賀料理もないし、「金沢21世紀美術館」もない。ルクセンブルク人が金沢を見たら「なんと多くの独自の文化コンテンツを持っている街だ」と思うでしょう。そもそも日本全体に、30個、40個のルクセンブルクがあってもおかしくない。そんなポテンシャルを日本の各地方都市は秘めてもいます。

 いま、日本のソフトパワーの等身大の実力はどれほどのものか、地政学を踏まえてどんな振る舞いをすることが日本の繁栄を呼び込むのか、本書が日本の自画像を認識し直すきっかけになれば嬉しく思います。

 

藻谷浩介(もたに・こうすけ
1964年山口県生まれ。地域エコノミスト。㈱日本政策投資銀行参事役を経て、現在、㈱日本総合研究所調査部主席研究員。東京大学法学部卒業。米コロンビア大学経営大学院卒業。著書に『実測!ニッポンの地域力』『デフレの正体』『世界まちかど地政学』、共著に『里山資本主義』(NHK広島取材班)、『経済成長なき幸福国家論』(平田オリザ氏)、対談集『完本 しなやかな日本列島のつくりかた』などがある。

f:id:cenecio:20190529135031p:plain

 

このような盛り上がりとタイミングを合わせるかのように、アイヌ語アイヌ文化を専門とし『ゴールデンカムイ』にアイヌ語監修者として関わってきた千葉大学教授・中川裕氏が、『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』を先日上梓した。

今回はその中川先生に取材し、アイヌ文化の魅力や基本的な考え方、『ゴールデンカムイ』に登場するシーンの裏話などをお聞きした。【取材:島村優】

「カムイ」はお土産が欲しくて人間世界に来る
——作品のタイトルにもなっている「カムイ」とは、改めてどんな概念なんでしょうか。中川先生の本の中ではカムイ=「神」ではない、と説明されています。

私たちの身の回りのあらゆるものがカムイと考えることもできます。一番重要なことは「人間以外のあらゆるものに精神があって、人間と同じように活動している」という発想がかつてのアイヌの考え方の根底にあったということです。その中でも、他のものに働きかけたり、役に立ったりするものは、魂が意志を持っているからそういったことができる、と考えます。

(デスクの上にある録音中の音声レコーダーを指差し)例えば、このレコーダーは人の声を記録するという働きをしていますね。こうした活動ができるのは、レコーダーが魂と精神を持っていて、人間の役に立とうと思って行動するから。だから、こうやって動いているという発想です。こうした全てのものをアイヌの考えでは「カムイ」と呼びます。


集英社ゴールデンカムイ』コミックス10巻表紙 ©野田サトル


——「身の回りの役に立つもの」ということは、作中でもよく出てくるクマや鮭など自然のものとは限らないんですか?

そうです、自然のものとは限りません。家もカムイで、この部屋にあるものもカムイ。机も、イスも、パソコンも、動いて人間の役に立っているからカムイだと、昔のアイヌはそういう発想をするに違いないということですね。

カムイの世界では霊魂は人の形をしています、クマも火も木もみんなそう。そして、それは物でも同じです。だから、アイヌの人たちは茶碗なども使えなくなったらその魂をカムイの世界に送り返すわけです。その根底には霊魂は不滅だという考え方があるんですね。

——『ゴールデンカムイ』の中では、猟は獣が人間に肉や毛皮を与えるものと解釈されていますが、中川先生はこの関係を「ギブアンドテイク」と説明しています。この場合、獣は何を受け取っていると考えれば良いのでしょうか?

それは、お酒や米の団子、イナウ(木幣)など、いろいろあると思います。例えば、このイナウという道具は木を削って作るものです。木それ自体はカムイなんだけど、木から削られたイナウは自然界には存在しません。人間が作らない限り存在しないものなので、カムイがこれを人間世界から持ち帰ることで、向こうの世界で格が上がるというわけです。僕はこれを我々の社会での「トロフィー」と同じようなものではないかと考えているんですけど。


集英社ゴールデンカムイ』コミックス11巻109話 ©野田サトル


——トロフィーというのは、ゴルフとかで優勝した人が受け取るような…。

そう、人間世界でもらってきたこのトロフィーをたくさん持っていると、「こいつは偉いやつだ」「すごいやつだ」とカムイ仲間の間で格が上がる。何度も人間の世界に行っていれば、トロフィーを何個も持っていることになりますよね。

あと、人間がカムイにお酒を捧げると、ものすごく量が増えて向こうに届くと言われています。1滴捧げるとお椀いっぱいになって、お椀1杯だと樽1杯、樽1杯捧げると樽6杯…というように。人間世界からお酒が届いたら、カムイは仲間を呼び集めて宴会を開きます。そこで飲み食いして、最後には土産まで持たせれば、「ああこの人(カムイ)は偉い人だな」となりますよね。

——そういうものをもらう代わりに、カムイたちは人間のために何かをするんですね。

昔の「洋行帰り」じゃないけど、外国に行ってお土産をたくさん持って帰ってきて、それを配った人に対して「ああ、あの人は外国に行って偉いもんだ」っていう発想と同じだと、僕は考えています。だから、「ギブアンドテイク」っていうのは、カムイが人間の世界にそういうものをもらいに来て、その代わりに、肉とか毛皮とかを置いていくという考え方です。

作品ファンが夢中になった「チタタㇷ゚」の秘密
——アイヌには、食べ物は褒めちぎりながら食べないといけない、「まずい」や「量が少ない」など言ってはいけない、という決まりがあることも、今回の本を読んで知りました。

それは、いろんなカムイが聞いているからです。火もカムイなんです。だから、火の前で「明日はどこに狩りに行く」と話すと、これから狩りに行く相手にも伝わってしまうとされています。さっきの「カムイは客としてやってきて肉や毛皮を人間に与える」っていう話とやや矛盾するようだけど(笑)。

——食べ物の話でいうと、『ゴールデンカムイ』では「チタタㇷ゚(※)」という調理法がファンの間で人気です。

今は、お祭りの時には必ずと言っていいほど食べますね。元々は、猟とかで野外で獲物を獲って、その場で腹ごしらえする時にやるっていうのが多かったんじゃないかなと思いますけど。新鮮な獲物を使ってやるわけだから、その時しか食べられないんです。

アイヌの言葉で「我々が刻むもの」。肉や魚を包丁などで叩いてペースト状にして食べる料理。


集英社/©野田サトル


例えば鮭の場合、身は食べずに保存食料にします。保存食料を作りながら、残った部位をチタタㇷ゚して食べるというイメージです。エラとか鰭もあるので、めちゃくちゃ叩く必要があって、すごく時間がかかります。

適当にやると骨が残って危ないんですね。実際の出来事として、適当にチタタㇷ゚したために残った骨が肛門に刺さった話なんかがあります。食べる時には喉に引っかからなかったのかな、と思いますけど(笑)。

アイヌ料理の味付けは「脂」が基本?
——作中でも様々な場面で描かれていますが、ずいぶんといろいろな肉を食べるんですね。

獲ったものは食べるんです。食べないのに獲るっていうのは問題なので、獲ったら全て食べなきゃいけない。捨てるのはまずいですから。

——獲物の種類が豊富なだけでなく、食べられる部位は全て食べるそうですね。

基本的には全部食べます。肛門とか、そういう部位は食べられませんけど。食べ方としては、寒くても暑くても鍋で食べるのが基本です。焼くのは、脂が垂れてしまって無駄になる食べ方だからです。鍋に入れて煮込めば、脂も全て鍋の中に入ってるから、無駄にならないし、アイヌが大量に食べる山菜類も一緒に煮込むことができます。

ある意味で、煮るっていう選択肢しか有効に食材を活用する方法としてはないと思うんですよ。

——登場人物が脳みそをとても贅沢なものとして食べています。

脳みそはとてもおいしいですよ、クマとか。塩と行者にんにく、ノビルなんかを刻んで混ぜたら大変おいしい。これは高級料理ですよ。フランスでもトルコでも、どこの国でも脳みそ料理ってのは高級でしょう。アイヌのように火を通さないで食べる文化がどれくらいあるかはわかりませんけど。

——当時の味付けは主にどんなものだったんでしょうか。

塩は使っていましたが、東北や関東の人が使う塩の使い方ではないので、やっぱり薄味です。どちらかというと、脂で味付けするんです。肉や野菜を煮て浮いてきた脂をすくって取っておいて、別の料理に混ぜたりかけたりして食べるんです。味付けは脂の中に溶け込んでる塩味ということになるから、現代の私たちの感覚からすると、すごく薄く感じるかもしれませんね。

ただし、それは昔の世代の話で、今のアイヌは子どもの頃から味噌味、しょうゆ味で育っています。今の世代でアイヌ料理が薄味という感覚を持っている人はいないんじゃないかな。

現代でも見習う部分の多いアイヌの生き方
——アイヌ文化の観点から『ゴールデンカムイ』を読むと、どのような魅力がありますか?

これほど詳しくアイヌの習慣や文化を、緻密な絵で描いて表現したマンガはないんじゃないかと思います。文様ひとつとっても、丁寧に調べて描くのはもちろんだけど、作者の野田さんのすごいところは、毎回全部描き込むことです。

これまで静止した写真や絵だったものが、マンガの中で生きて動いている状態で表現されているのは、アイヌ文化を今までと違う形で伝える大きなポイントなんじゃないかなと思います。博物館に飾られている状態ではなく、弓が実際に使われていたり、銛が打たれていたりする。いろんなものが道具として使われる様が、彼の緻密で正確な筆致で描かれているのはすごいと思いますね。


BLOGOS編集部


——最後に、改めて中川先生が考えるアイヌ文化とはどんなものでしょうか。

僕は、「自然との共存」という言葉が嫌いなんです。それだと、木を切ってはいけない、動物を殺してはいけない、といった話になりがちです。でも、それでは生きていけていけませんよね。

一方、アイヌは木を切るし、山菜は希少なものでも取って食べるし、当然動物も殺す。ただし、それが自分たちの生活に危険が及ぶような事態を招かないように、コントロールしながらやっていく、という思想を持っているわけです。外からの制御を受けなくても、自分たちが過剰採取をしない、といったことや、取ったものは全て利用する、といったことが生活の中に組み込まれている。それは一種の宗教と言ってもいいのかもしれないけど、意識せずとも一定の考え方で制御している。そういうライフスタイルなんですね。

——ライフスタイルに、自然に負荷をかけすぎないことが組み込まれているんですね。

自然との共存というだけではなく、現代の都市で生きていてもそういう考えの下で生活することは可能です。道具類も精神を持って、自分の役に立ってくれているわけだから、あらゆるものに対して感謝を持つ。そういう思想ですから。

——それでは、ご専門であるアイヌ語を多くの方に伝えていく上で、今後必要になっていくのはどのようなことですか?

アイヌの言葉は、書かれたものも録音されたものも、古い資料が他の民族と比べ物にならないくらい多く残されています。それをどう活用していくかということが重要です。たくさんの資料があるので、まず自分たちが伝えるべきものを求めて、自ら吸収していくことが必要です。そしてそれは、僕のような人間を介してではなく、直接、自分で触れたほうがいいと思います。僕がやっているのは、みんなに関心を持たせるということのお手伝いになればいいな程度のことだと思っています。

https://blogos.com/article/377657/

 

 

 キアヌ

www.theguardian.com

 

中学校英語

https://english.005net.com/youten.php

f:id:cenecio:20190529141321p:plain

中学校英語各単元

よんたま

www.bbc.com

f:id:cenecio:20190529144635p:plain

よんたま

 「シュテットル」

「絶滅」前に「小さな町々」でユダヤの人々はどんな日常生活を営んでいたか―エヴァ・ホフマン『シュテットル――ポーランド・ユダヤ人の世界』沼野 充義による書評(ALL REVIEWS) - Yahoo!ニュース

◆「絶滅」前の人々の日常を活写

「シュテットル」とは、東欧のユダヤ人たちがコミュニティを作って住んだ「小さな町」のことである。日本でもよく知られているアメリカのミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』(原作はイディッシュ語作家のショレム・アレイヘム)の舞台となるのも、そういった町の一つだ。シュテットルではイディッシュ語を話すユダヤ人が多様で活気あふれる生活を営み、職人も商人もいて、ユダヤ教のラビもいれば政治活動家もいた。そこでユダヤ人たちは恋愛をし、子供を育て、近隣の非ユダヤ人の住民たちと微妙な緊張をはらんだ共生関係を保ってきたのである。「共生」の振り子は、歴史の流れに翻弄(ほんろう)されながら、融和・協力と、対立・憎しみの間で何度も大きく振れた。そして、第二次世界大戦中のナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の結果、数えきれないほど存在していた平和な小宇宙は、住民や文化もろとも消え失せてしまった。 本書が取り上げるのは、そんなシュテットルの一つ、ベラルーシとの国境近くに位置するポーランド北東部の町ブランスクである。ポーランド第二次世界大戦前、三〇〇万ものユダヤ人口を擁していたが、その大部分がナチスドイツによって「絶滅」された。そしてアウシュヴィッツ、トレブリンカをはじめとする強制収容所の大部分がポーランドに集中していた。そういったいわば「大きな悲劇」についてはすでに多くの歴史書が書かれているが、「絶滅」前にこの地の「小さな町々」でユダヤ人がどんな日常生活を営んでいたかについて、私たちは驚くほど少しのことしか知らない。

それゆえ本書の最大の魅力は、ポーランド・東欧の複雑な歴史的背景を視野に入れて流れを概観しながらも、一つの町の具体的な歴史に焦点を合わせ、そこに住んだ生身の人間たちを主役としている点であろう。著者はポーランド出身のユダヤ人で、十代で北米に移住し、以後、英語圏で作家・評論家として活躍している。本書の独創的なアプローチを導いたのは、忘れられかけていたブランスクのユダヤ人の歴史について先駆的な研究をしたポーランド人の郷土史家や、数少ないブランスクの町の生き残りのユダヤ人たちである。さらに著者は「イズコル」(ヘブライ語で「死者の追悼」の意味)と呼ばれる、第二次世界大戦直後に編纂(へんさん)されたユダヤ人の証言集を緻密に読み解きながら、町の歴史とそこに生きて死んだ人たちの姿を生き生きと浮かび上がらせる。

最近のポーランドでは民族主義的な風潮の台頭の中、反ユダヤ的な機運が強まっていることが報じられており、ポーランドにおけるホロコーストをめぐる記憶と政治の問題が決して過去の解決済みの問題ではないことを痛感させられる。この複雑な、白とか黒とか単純に裁けない問題に対する著者の姿勢は、はっきりしている。彼女は党派的な予断を避け、ステレオタイプにとらわれないで過去にまなざしを向けようとする。近隣のポーランド人の中には、ユダヤ人虐殺に手を貸した者もいたが、人間的な同情をもってユダヤ人を助けた人たちもいた。著者のメッセージはシンプルで力強い--問題は複雑であり、誰かを免罪したり非難したりすれば事足れり、というわけにはいかない。私たちは想像力を働かせて、記憶を蘇(よみがえ)らせなければならないのだ。

これは現代日本にもそのまま当てはまることではないか。ちなみに「記憶を失う国民は、良心を失う」とは、ポーランドの詩人ズビグニェフ・ヘルベルトの至言である。

シュテットル――ポーランド・ユダヤ人の世界

シュテットル――ポーランド・ユダヤ人の世界